文明開化の船出

現代の『写真』にも
位置付けられる、
浮世絵の歴史300年。
歴史とともに
変わる技法、色彩。
文明が変化する
その時代を探求する、
浮世絵の旅。

浮世絵の変遷

Vicissitudes

1555年頃〜

始期(天文から寛文)

天文末期から明暦の大火の頃。木版の発生前であり、厳密には浮世絵とはいえないかもしれないが、肉筆によって岩佐又兵衛らが当時の風俗画を描いており、京都では、北村忠兵衛や辻村茂兵衛といった絵師が清水寺に絵馬を奉納している。

1657年〜

初期(延宝から宝暦)

明暦の大火から宝暦の頃。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。その後、墨摺絵に赤い顔料で着色した丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)、紅絵の黒い部分に膠を塗って光沢を出した漆絵(うるしえ)が登場、以上はすべて筆による彩色であった。さらに紅絵に緑色など二、三色を版摺りによって加えた紅摺絵(べにずりえ)が登場する。錦絵登場の直前、輪郭線すらも墨を用いず「露草」の青とした水絵(みずえ)と呼ばれる、極端に彩度の低い多色刷りも生まれている。

1765年〜

中期(明和から文化)

明和2年から文化3年頃。鮮やかな多色刷りの東錦絵(吾妻錦絵、江戸絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。下絵師、彫師、摺師の分業体制が整っていく。

1807年〜

後期(文化から安政)

文化4年から安政5年頃。美人画、役者絵、武者絵のほか、旅行ブームに伴い名所絵(風景画)が発達。

1859年〜マスプロ美術館展示年代

終期(幕末から明治)

安政6年から明治45年頃。幕末から明治にかけて、横浜絵、開化絵、錦絵新聞、皇室を描いた絵など、新しい時代の世情紹介に浮世絵が大きな役割を果たす。世相を反映した戦争絵も歓迎されたが、やがて浮世絵は、新聞、写真など他のメディアに押されて衰退していく。絵師は挿絵画家や日本画家に転じ、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。

マスプロ美術館に所蔵される
激動の幕末・明治の開化絵
マスプロ美術館に
所蔵される激動の
幕末・明治の開化絵

Collection

横浜開化絵

横浜波止場ヨリ海岸通異人館之真図(広重Ⅲ代)
横浜波止場ヨリ海岸通異人館之真図(広重Ⅲ代)

嘉永6年6月(1853)、東インド艦隊指令官ペリーの率いる4隻のアメリカ艦隊が浦賀に来航し、翌安政元年(1854)、日米和親条約が調印されました。続いて、イギリス、ロシア、オランダ、フランスとも和親条約が調印され、安政6年6月(1859)横浜港が開港されました。
それまで名もなかった戸数わずか101戸の貧しい横浜村が一躍目を見張る貿易港として脚光を浴びることになったのです。見たことのない外国人、外国船、外国館、軍隊、パレード、外国の風景、異国の動物、洋服、鉄橋、外国品の数々、外国人の遊郭・・・廃れてしまった美人浮世絵や、武者絵等に代わる浮世絵の題材として、浮世絵師たちは横浜開化絵にとびつきました。ここに横浜みやげ「横浜開化絵」が生まれ、大人気を博し、多くの横浜開化絵は日本の各地に、そして海を渡っていきました。

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東京開化絵

東京銀座通電気燈建設之図(重清)
東京銀座通電気燈建設之図(重清)

明治2年(1869)、築地ホテル館の始まりが、「横浜開化絵」に代わる「東京開化絵」の幕開けといえるでしょう。以後、20年位の間に、無数の「東京開化絵」が出版されました。文明開化のハイライトは、なんといっても蒸気車の出現でしょう。人々の驚きは、はかり知れません。電信、牛鍋(スキヤキ)、ジャンギリ頭、洋服、銀座、ガス灯は文明開化の代表的な光景です。人力車の発明、蒸気船、鉄道馬車、・・・こうもり傘、靴、シャッポ、時計、マッチ、オルガン、ラムネ、洋酒・・・これらの題材を描いた浮世絵は、現在の画報、絵ハガキと同じように、世人に歓迎され好評を博しました。恰好の東京みやげとして故郷に持帰り、人々にみやげ話をしているところが目に映るようです。

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地方開化絵

浪速天満祭(貞秀)
浪速天満祭(貞秀)

歌川貞秀、歌川国政、歌川芳虎、歌川国輝、月岡芳年などの浮世絵師たちによって、南は九州から北は北海道まで各地の名所・名産・名物が紹介されています。なかでも、横浜港案内図など多くの横浜開化絵を手掛けた「貞秀」は、横浜開化絵だけでなく、仙台・長岡・東海道・紀州・瀬戸内海・関門・長崎などの風景も描いています。また、北は北海道松前まで旅をした大旅行家で、天才絵師、地理師という学者であったようです。他には、明治29年6月15日午後8時15分、陸前(宮城県)、陸中(岩手県)、陸奧(青森県)の3県に大津波が来襲した時の被害の壮絶さが目に焼き付くような絵や、世界遺産に登録された「富岡製糸場」などがあります。

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江戸期美人画

中山富三郎の宮城野(写楽)
中山富三郎の宮城野(写楽)
辰巳の婦じるし(歌麿)
辰巳の婦じるし(歌麿)

江戸期に描かれた美人画は、当時のいわゆる美人を如実に描いたものでした。江戸時代の日本で活躍した浮世絵師は、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽などがいます。

鈴木春信

華奢で幼い少女をちょっとお茶目に描いた美人画。

喜多川歌麿

ふっくらとした女性を描いた大首といわれる上半身の美人画。

東洲斎写楽

歌舞伎役者絵。当館所蔵の写楽の浮世絵は、背景が雲母摺り(きらずり)といって、雲母という石を砕いて摺ってあるものです。よく見ると、「キラキラ」しているのが分かります。

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4つのここに注目!

  1. 歴史背景

    文明開化の激動の時代に、
    その時代の人々が何に興味を
    持っていたかに注目!

  2. 当時の広告

    浮世絵は当時の出版物です。
    広告として何を
    伝えたかったか?に注目!

  3. 配色

    年代が現代に近づくにつれ
    着色剤が変化しました。徐々に
    カラフルになる色合いの変化に注目!

  4. 作画方法

    浮世絵は3枚続きの紙に
    摺る版画です。どのように摺られて、
    作られていたか?に注目!

陶磁器のコレクション

Collection

8世紀頃に始まる釉薬を施した
日本で初めての陶器である「猿投陶器」。
日進市は生産の中心地でした。
当時日本一の技術であった猿投陶器から技術伝承された
地元の瀬戸、美濃の陶器と歴史的にも大変貴重とされる磁器を
当館にて展示しています。

マスプロの想い

Our Mind

私たちマスプロ電工は、
移りゆく時代背景、文化、コミュニケーションの中で、
常に私たちの役割を考え続けています。
私たちが運営するマスプロ美術館は、最も日本の歴史が動いた
文明開化の時代に描き彩られた浮世絵を中心に、
数千点の浮世絵や陶磁器が所蔵されており、
当時の日本をカラフルな色彩とともに激動の時代を感じることができます。
このマスプロ美術館を運営することは、
まさに、チャレンジを続け、時代とともに変化する、
私たちマスプロ電工のスピリットの象徴であると思っております。

アクセス

Access

公共交通機関をご利用の場合

名古屋駅

  • 桜通線徳重行 → 丸の内駅鶴舞線赤池行
  • 桜通線徳重行 → 御器所駅鶴舞線赤池行
  • 東山線藤が丘行 → 伏見駅鶴舞線赤池行

※名古屋市地下鉄の路線図はこちら

約40分

赤池駅

名鉄バス 日進中央線

長久手古戦場駅行(行き)
平日(月~金) 休日
8時 10分 05分
9時 10分 05分
10時 10分 05分
11時 10分 05分
12時 - -
13時 00分 05分
14時 00分 05分
15時 00分 05分
16時 00分 05分
17時 05分 10分
赤池行(帰り)
平日(月~金) 休日
8時 46分 40分
9時 45分 41分
10時 45分 41分
11時 - -
12時 38分 41分
13時 38分 41分
14時 38分 41分
15時 38分 41分
16時 36分 42分
17時 37分 42分

約20分

浅田東(マスプロ美術館前)

車をご利用の場合

  • 東名高速道路・名古屋第二環状自動車道 名古屋インターより約30分
  • 名古屋第二環状自動車道 植田インターより約15分

施設情報

入館料金 一般:¥500 学生:¥250

開館日:マスプロ電工 営業日
開館時間:9〜17時(入館は閉館の30分前)
休館日:土・日・祝日(ただし第2・第4日曜日は開館)

マスプロ美術館はエレベータを備えておりません。

割引について

日本自動車連盟[JAF]会員証をお持ちの方と、その同伴者様ともに20%割引

マスプロ美術館のお問合わせ先

〒470-0194
愛知県日進市浅田町上納80
TEL 名古屋(052)804-6666

VRマップ

VR Map

PIXPRO360による撮影でVRマップを作成しました。
館内の様子がご覧いただけます。